【福岡音楽事始】第5回~福岡の洋楽文化に影響を与え続けたゴキゲンRADIO~

福岡では1946年から1972年まで、米軍板付基地(現福岡空港)にFEN(Far East Network=極東放送)がありました。欧米のヒット曲が流れることで洋楽に触れるきっかけとなり、ミュージシャンを目指した若者も少なくありません。OTOJIROでも財津和夫さんや鮎川誠さんがインタビューでそう証言されています。

もちろん全国放送のNHKやFM東京のネット番組も聴けましたが、圧倒的に影響を与えたのが地元ラジオ番組です。なかでも人気があったのが1967年10月にKBCラジオでスタートした本格的な洋楽ヒットチャート番組「今週のポピュラーベストテン」です。DJは惜しくも2023年4月5日にお亡くなりになった松井伸一さん。その後「ヤング・ポップス」「サウンズ・ウィズ・コーク」といった音楽番組も担当し、リスナーに絶大な人気を得ます。
時は60年代後半、ロックが多様化し始め「ニュー・ロック」と呼ばれた時代。ドアーズやジミ・ヘンドリックスなどが登場し、ビートルズやビーチ・ボーイズの時代からさらに変化しようとしていました。他にもRKBラジオやFM福岡などが地元から洋楽を発信していました。また70年代は福岡でも洋楽アーティストの来日コンサートが盛んに行われ、ニール・ヤング、ブライアン・フェリー、クイーンなど、独自のインタビューが数多く放送されました。 

松井さんは1977年11月に渡米、ニューヨークのザ・パラディアムでチープ・トリックのライヴを体験(ラッシュの前座の前座だったそうです)。帰国後、強力に番組でチープ・トリックをプッシュしていきます。日本のチャート番組でチープ・トリックを初めて1位にしたのは「今週のポピュラーベストテン」です。実はその頃、熱心に聴いていたリスナーがリック・ニールセンと文通をしており「福岡のラジオで凄く応援しているDJがいる」と書いて送っていたとか。1978年チープ・トリック初来日の際に、九電記念体育館の楽屋で初対面した松井さんは、リックから「あなたのことは知っていますよ」と言われたそうです。

マスメディアでありながら、ラジオの良さは「ワン・トゥ・ワン・コミュニケーション」。送り手とリスナーの距離が近い。DJが「これ、良いよ!」と紹介する曲は凄く印象に残り、説得力が加わるのです。インターネットなど無い時代、当時の洋楽の情報源は、音楽雑誌やレコード店だったのですが、なかでも実際に曲が聴けるラジオは貴重でした。DJのレコメンドとファンの反応、ここから独自の洋楽文化が、ここ福岡でも育っていきました。

Dedicated to Mr. Shinichi Matsui

記事提供者:元永 直人
福岡市在住。1976年ベイ・シティ・ローラーズの初来日公演を体験しライヴの虜に。以来通った洋邦のライヴは数知れず。また、放送局勤務時代に音楽番組やイベント(MUSIC CITY TENJIN、アジア太平洋フェスティバル、福岡県アジア若者文化交流事業等)に携わる。