【福岡音楽事始】第7回「80’s NEW WAVE in Fukuoka」

福岡の街が独特の音楽文化を形成して来た背景には、地元メディアを中心に、アマチュア・ミュージシャンに理解を示す方々のサポートが大きかったことは以前も書いた。今回は80年代に向かおうとしていた、1979年からの動きを紹介する。

1979年

・5月、今泉の徒楽夢でライヴがスタート
・TNC『L-モーション・ラグ』放送開始
・音楽誌『Blue Jug』創刊
・FM福岡『ミッドナイト・ライヴ』スタート
シーナ&ザ・ロケッツが薬院の「グリーン・ヴィレッジ」で行った「ROKKETS PARTY」の模様を放送している。まだデビュー前だったザ・モッズやロッカーズの曲もオンエアされた。
・『スタジオ19』オープン。福岡ではまだ珍しかったバンド用の録音設備を備えていた。後に石井聰亙監督の映画『狂い咲きサンダーロード』用にモッズのレコーディングも行われている。
・8月、長浜公園横に80’s FACTORYオープン。
80年代の音を作る「工場」という意味を込めてネーミングされた。本格的なステージが組まれたライヴハウスだった。福岡でスタンディングのスタイルが最初に生まれたと言われている。

1980年

・FM福岡『ライヴ・エクスプロージョン』スタート
 「福岡で活動するアマチュア達のサウンドを紹介する」目的で、80’sや冨士映劇、須崎公園などでのライヴ収録も積極的に行われた。
・『Jumping Jam』開催(少年科学文化会館)
2年おきに開催されていたが、1984年と1986年は会場が福岡スポーツセンターとなり、約2,000人の動員があった。
※80年代には天神ビブレの屋上で「天神開放地帯」というイベントも毎年開催されている。

一方、ロックの大きなムーブメントとしてNEW WAVEが生まれつつあった時期でもある。福岡にもそうしたミュージシャンがコンサートを行っていた。以下、ほんの一例。

<1979年>
・1月13日 Tom Robinson Band(九電記念体育館)
・2月13日 Stranglers(少年科学文化会館)
・7月22日 Talking Heads(九電記念体育館)
<1980年>
・7月4日 Ramones(大博多ホール)
<1981年>
 ・1月31日 The Police(九電記念体育館)

70年代の終わり、1979年に新しいディケイドに向かう環境が生まれた。そこから福岡における80年代のNEW WAVEへと繋がっていった。もちろん、ネットもSNSも存在しない時代。街全体が音楽シーンを盛り上げたことは、現在にも継承されているスピリットではないだろうか。

記事提供者:元永 直人
福岡市在住。1976年ベイ・シティ・ローラーズの初来日公演を体験しライヴの虜に。以来通った洋邦のライヴは数知れず。また、放送局勤務時代に音楽番組やイベント(MUSIC CITY TENJIN、アジア太平洋フェスティバル、福岡県アジア若者文化交流事業等)に携わる。