コロナ禍における福岡の音楽活動を記録する

このコラムでは、筆者が日々携わっている音に関わる研究活動を、福岡の音楽を取り巻く様々な話題と共に紹介していきます。

2021年7月10日に、ラウンドテーブル「コロナ禍における福岡の音楽活動を記録する」(日本音楽学会西日本支部第52回定例研究会)がオンラインで実施されました。音楽学者の西田紘子(九州大学)のコーディネートの元、作曲家のゼミソン・ダリル(九州大学)、プロオーケストラの広報担当のリシェツキ多幸(九州交響楽団)、学生オーケストラ顧問の松村晶(九大フィルハーモニー・オーケストラ)、ピアニスト・音楽家派遣主宰のグミ(メロディエンヌ)が集ったこのイベントに、筆者も質問役として参加しました。

このラウンドテーブルでは、主にクラシックと呼ばれる音楽(とはいえ、その対象は古典から現代まで幅広いのですが)を活動の主体とする参加者が、それぞれ、制作、広報、運営、演奏、という、異なる立場からこの1年半の福岡での音楽活動を振り返ることになりました。

その中でも筆者にとって特に印象的だったのは、オンラインでの配信はあくまでも生での演奏の代替物に過ぎない、という参加者全員の共通認識でした。

20世紀を代表する音楽家の一人に、カナダ出身のグレン・グールドというピアニストがいます。彼は、その活動の後半ではコンサートを一切行わず録音と放送に専念した音楽家なのですが、1966年に発表した「レコーディングの将来」という文章で、音楽における生演奏の一回性に疑問をいだき、”われわれが今日知っているような公開のコンサートは一世紀もたてばもはや姿を消してしまっているだろう、エレクトロニクスのメディアがそうしたコンサートの機能にすっかりとって代わっているだろう”、と予言しています。

この1年半のコロナ禍において、世界の音楽を取り巻く状況はまさに彼が思い描いていた通りになった、とも考えられるのですが、その状況についてグールドと同じカナダ出身のゼミソンさんは、(自分にとって)ライブ・ストリーミングは(響きの伴わない)生演奏と、(編集できない)録音の最悪の組み合わせ、と率直に発言していました。
他の参加者の方からは、以下でも述べるようにオンライン配信の良さを認める意見もあったものの、ストリーミングでの配信は、その場で聴くことの置き換えにはならない、という意見は全体を通して一貫していました。
これは、楽器やマイクからの音を電気的に増幅してスピーカから出力することをあまりせず、アコースティックな楽器や声による空間の響きそのものを演奏の一部とすることが多い、クラシックに携わる音楽家だからこその認識なのかもしれません。

九州交響楽団の広報に携わるリシェツキさんからは、定期演奏会の配信時に開演前のロビーコンサートの中継を検討したが、インターネットでの配信ではその魅力を伝えることができないため断念した、とのコメントがありました。
クリストファー・スモールという音楽学者は、音楽というのは譜面や演奏そのものだけでなく、その場での人々の触れ合いをも含む行為なのだと述べ、「ミュージッキング(音楽する)」という言葉を提唱しています。
ロビーコンサートにおいて重要視される、手が届く距離での演奏者と来場者との密な触れ合い、というのはまさにこのミュージッキングの考えを体現するものといえるでしょう。

他方、九大フィルハーモニー・オーケストラに関わる松村さんからは、演奏会をオンライン化したことで、遠隔地に住んでいる家族や友人が学生と共にコンサートに参加することができたという発言がありました。
ここでは、プロフェッショナルとは異なり、必ずしも完成度の高い演奏を目的とするわけではなく、あくまでも音楽を一つの交流の手段と捉えるアマチュアならではの、オンライン上でのミュージッキングのあり方が端的に示されています。
また、ピアニストのグミさんは、この期間、オンラインでのレッスンの問い合わせやイベントへのビデオでの演奏依頼が増加した、と述べています。
これは、複数の人々が集って合奏する他の楽器とは違って、多くの場合、一人で演奏することが前提となっているピアノ(ないしはギター)ならではの傾向といえるかも知れません。

この1年半のコロナ禍は、オンライン配信のある種の貧しさと共に、演奏と配信の差異、ロビーコンサートの意義、アマチュアならではの音楽、ピアノという楽器の特異性、といった、私たちがこれまで特に疑問を抱かずにいたことを考える良いきっかけになっています。
まだまだ落ち着かない日常が続いていますが、今回のラウンドテーブルをきっかけに、この福岡から音楽についての考えを深め、その枠組み自体を捉え直すような活動を生み出していければ、と思います。



参考資料
– グレン・グールド「レコーディングの将来」野水瑞穂訳、ティム・ペイジ編
『グレン・グールド著作集2――パフォーマンスとメディア』(東京:みすず書房、1990年)
リンクはこちら
– クリストファー・スモール 『ミュージッキング―音楽は〈行為〉である』野澤豊一・西島千尋訳、東京:水声社、2011年)
リンクはこちら

記事提供者:城一裕
九州大学芸術工学部音響設計コース 准教授
福岡音楽都市協議会 理事・企画運営委員