【特別対談】音楽プロデューサー 松尾潔 × 福岡市長 髙島宗一郎 (前編)

音楽都市福岡キュレーションメディア「OTOJIRO」のオープニング企画として、福岡出身でメディア等でも活躍されている音楽プロデューサー・松尾潔氏と福岡市長・高島宗一郎氏をお迎えして、「音楽都市 福岡」の未来をテーマにオンライン特別対談を開催しました。

「音楽都市 福岡」の可能性について ~音楽を活かした都市戦略とは?~

福岡音楽都市協議会の設立経緯

深町氏
深町氏

対談に入る前に私から福岡音楽都市協議会の設立経緯を説明させていただきます。歴史的な背景の話をすると、福岡は古くから大陸文化の窓口として機能していました。

本サイト「OTOJIRO」のタイトルにもさせていただいていますけど、明治時代、福岡出身で「新派劇の父」と称された川上音二郎はアメリカやヨーロッパで日本文化(日本の芝居)をお披露目する活動をされていました。彼は先進性が高く、当時日本ではまだ女性が舞台に立てない時代にも関わらず、奥さんの貞奴を日本で初めての女優としてヨーロッパやアメリカに帯同し、ヨーロッパではジャポネスクというブームのきっかけを作りました。川上音二郎一座が日本人として初めてレコーディングに参加したというエピソードも残っています。

深町氏
深町氏

昭和に入ると、今でも天神で営業を続けているライブ喫茶「照和」から甲斐バンド海援隊チューリップ井上陽水さんなど本当に小さなライブハウスから次々とメジャーデビューし音楽界を席巻しました。

1970年代から1980年代にかけてはめんたいロックという邦楽にパンクを持ち込んだ新しいムーブメントが生まれました。必ずしもそれは東京がこういうことやっているから福岡も同じことをやるのではなくて、福岡独自で始まった音楽カルチャーです。それ以降もMISIA椎名林檎さん、スピッツの草野マサムネさんなど、あげたら枚挙にいとまがないぐらい次々と音楽人を輩出し続けている街が福岡なのです。

深町氏
深町氏

このような歴史的背景も踏まえ、福岡の文化的な特徴でもある音楽というものを、我々はもっとまちづくりや様々な場面で福岡のブランディングとして活用したほうがいいのではないかという視点から福岡音楽都市協議会が全国に先駆けた組織として立ち上がりました。

本日はオープニング企画としてお二方を特別ゲストにお迎えして、「音楽都市 福岡」の未来についてお話を伺えればと思います。

福岡には独自のユース・カルチャーがあった

深町氏
深町氏

まずは松尾さんから福岡での思い出話、その後の人生を決定付けるような音楽の出会いなどがあればお願いします。

松尾氏
松尾氏

今になって思うのは、私が青春時代を過ごした頃の福岡は、全国的に見ても際立って音楽への興味が強い街だったということです。音楽を奏でたい、歌いたい、聴きたい、そういった人たちに向けて街自体がインキュベーションの機能を備えていた。「こんなのが好きだったら、もっとこういうマニアックなものがあるよ」というのを教えてくれるレコード屋さんや人が行き交うライブハウス、もちろん地元のメディアもそうですよね。

松尾氏
松尾氏

高島さんの古巣になりますけれど、私は昔KBCラジオをよく聴いていて、アナウンサーの松井伸一さんが大好きでした。彼の洋楽の知識が聴ける番組をいつも楽しみにしていましたよ。高校生の時には街中で見かけた松井さんを呼び止めて、お話しさせていただいたこともあります。きっと高島さんも当時(アナウンサー時代)テレビをご覧になっている方から「いつも見よるけんね」とお声がけされていたんじゃないですか。

メディアを通して知った存在にもリアル空間で声をかけたくなる心理を生み出す背景には、福岡の街のサイズ感がすごくあったのだろうなって。東京にはない、コンパクトシティーの良さのひとつですよね。実際に声をかけるかどうかはともかく(笑)。

松尾氏
松尾氏

それにしても今いろんな情報が入ってきますよね。

私が高校生の時、クラスに男の子が23人ほどいたのですが、学校の文化祭の時にギター弾きたいやつって言われて14人が手を挙げたのですよ。当時は半分以上が手を挙げていたことに驚きもしなかったです。3人のうち2人ぐらいはギター弾くよなぁって思って。

松尾氏
松尾氏

で、後になって東京の大学に行ったり、他の地方の方と交流したりするようになって、「それ、福岡異常だから」、「大阪の人の笑いとかにほぼ近いな」、「すごい環境だね」みたいなことを言われて初めて気づきましたね(笑)。

松尾氏
松尾氏

語弊があるかもしれませんが、適度に情報が遮断されていたからこそ、全国的な時流とか流行りとかに惑わされずに福岡でオリジナルのユースカルチャーがあったのだなって。

ある程度人口があったからできたことでもあって、都市機能も高いですから。もっと小規模の都市に行くとライブハウスなんかないわけですからね。

松尾氏
松尾氏

少なくともあの時代にインキュベーション機能があったことの恩恵を享受したなっていう意識がいまだにあります。深町さんからお声がけいただいて、東京や海外の仕事で得た経験を今の福岡の人たちに還元して、何かまた面白い事できないかなってことをよく思っています。

深町氏
深町氏

松尾さんが音楽を生業にしているきっかけは、このような福岡で生まれ育ったってことはあるのでしょうか?

松尾氏
松尾氏

ミュージシャンを志したことはありませんが、音楽に関わる何かを仕事にできたらどんなに楽しいだろうとは思っていましたよ。

深町氏
深町氏

バックグラウンドがちゃんとあったということですね。

松尾氏
松尾氏

地元の音楽人がたくさんいるからですよね。楽しそうな人がいるからイメージも抱きやすかったのだと思います。

深町氏
深町氏

身近なところで憧れの先輩が音楽をやっていたというのはありますよね。

松尾氏
松尾氏

当時は鮎川誠さん、ザ・ロッカーズザ・ルースターズとか、深町さんのお名前もそこに連なるわけですけれども、これだけデビューする人がいたら、福岡でいい線いけば全国的にもいい線いっているってことなのかなと信じていましたよ。

「博多どんたく」から紐解くインキュベーション力

深町氏
深町氏

高島市長は私からすると歴代の市長の中で最も音楽が好きなイメージがあります。ドラムやDJをされていますよね。

高島氏
高島氏

そうですね。BOØWYJUN SKY WALKER(S)THE BLUE HEARTSとかの世代で、バンドをするのが当たり前でした。学生時代からドラムを叩いていましたね。

文化祭はステージに立てる枠が決まっていますから、予選もありましたよ。なかなか社会人になってバンドで人とスケジュールを合わせるのが難しくなってきたりするので、その点DJは音楽を一人でも家で楽しめますね。家に電子ドラムとDJセットがありますけれど、音楽は大好きです。

高島氏
高島氏

松尾さんがおっしゃったインキュベーションっていう話。キーワードが出てきたと思うのですが、街が育てるという話ですね。インキュベーションという言葉は普通「スタートアップ」という企業の新しいビジネスを応援する際に使われることが多いのですが、音楽を含め、広くエンタメという観点で考えると、「博多どんたく」という祭りが思い浮かびました。博多どんたくって、「どんな祭り?」と聞かれると意外に説明するのに悩みませんか?

松尾氏
松尾氏

確かに山笠に比べるとちょっと一言で言いづらいですよね

高島氏
高島氏

パレードはあるけど、有名な歌手が出るわけではない。一言で言うと、どんたくとは「ステージを設える祭り」。ただそれだけのことなのです。

つまり活躍できる場所を作る、市役所前広場の大ステージから、プライベートで作った小さなステージまで、大小問わず、あらゆる場所にステージを作ります。

活躍できる場所さえ作れば、あとはどこでどんなパフォーマンスを魅せるのかは自分次第。つまり誰かを見に行くのではなくて、私がプレイするのだと。「ルックアットミー」俺だけ見とけと。

この精神が博多どんたくを成り立たせていて、私がやりたいという人がいなくなった時点で終わるんですよ。

高島氏
高島氏

今はコロナ禍で止まっていますが、海外からも含めて自分たちをみんなに見てほしい、知ってほしいという人が福岡の舞台で披露していました。

そういう意味では福岡市の経済施策の真ん中に据えている「スタートアップ支援」も、福岡の人はもちろんのことながら、全国のチャレンジしたい人が福岡でやってみる、そしてそれを行政や民間がバックアップするという、ある意味「ステージを設える」という点で共通しているなと思いました。

松尾氏
松尾氏

「お膳立てをする」という言葉がありますけど、街はお膳立てだけをして、あとは演者の力量に任せるということですよね。

福岡には演出家や作家の方もたくさんいらっしゃいますけど、演者の方が圧倒的に多い印象があります。

博多どんたくは私が子供の頃から、スポーツセンターに行ったり電気ビルに行ったりして、いろいろな出し物を見てきました。「皆さん参加してください」って言われて、そこに入って楽しむわけです。

松尾氏
松尾氏

私が今になって感じることは、演者の方たちと交じり合うということは、演者へのリスペクトがあるということなのですよね。例えるなら、ジャズの発祥の地と言われているアメリカのニューオーリンズ。演奏する人たちが街を練り歩くのですが、最後はお客さんと渾然一体となってみんなで音楽を楽しみます。

昔から博多どんたくは、平たく言うとなし崩し的な感じで進んでいったりするじゃないですか。ルールがないのがルール。先ほど高島市長がおっしゃったように「ステージを作りました!はい、やってください!」っていう、その自由さで生まれる芸能の祭りなのですね。

高島氏
高島氏

そうなのです。福岡の街そのものが日本の中のインキュベーション施設と言っても過言ではないかと思います。

松尾氏
松尾氏

だからスタートアップに向いているという着眼点ですよね。

高島氏
高島氏

ジャンルは芸能であったって音楽であったって、福岡の街で人を育てて、その後東京へ羽ばたいていく。今は東京に限らず福岡でも活躍できる場を作ろうと思っています。

深町氏
深町氏

そんな祭り好きな気質、出たがりの人が圧倒的に多い街なので、芸能人やプロのアーティストが次々と誕生するわけですが、一方では東京に流出してしまっているという現実もあります。

ただ、今の時代はインターネットやSNS等で自由に発信できますので、これからはわざわざ東京に行かなくても、場所を選ばず活躍できるフィールドはどんどん増えてくるのかなと思いますよね。

音楽業界の構造変化が進んでいる

深町氏
深町氏

今の音楽業界における環境や状況について変化を感じますか?

松尾氏
松尾氏

変化を感じますね。特にこの数年の日本国内におけるネット環境について目覚ましい向上を感じています。福岡の若いミュージシャンたちも実はサブスクリプションサービス等を音楽のメインフィールドにしているかもしれません。

東京を志す人は本当に減っていると思います。もちろんテレビを主戦場とするようなアイドルを目指している人は東京に目が向いているかもしれませんが、音楽に関して言うと地方に住んでいる事をビハインドな理由にする必要がない。

むしろ生活指数が高くなって福岡に住んでいるからこそ自宅でスタジオみたいなスペースができるとか、メリットも多いです。

松尾氏
松尾氏

ここで固有名詞を出していいか分からないですけど、クリエイター同士の会話で「地方に移住するなら、アップルストアまで車で30分圏内が理想」というのがあって。何かあった時に駆け込めるからってことですけど。福岡市はほぼ全域でそれを満たしていると言えますし、アーティストにとって住みやすい街だと思います。

深町氏
深町氏

松尾さんは東京の音楽ビジネスのど真ん中にいて、業界構造が変容していることに対して危機感はないですか?

松尾氏
松尾氏

そうですね、今は過渡期にあると思います。昔はシングルCDを作るためにリード曲、カップリング曲で計2,3曲というように、メディアのサイズに合わせて曲数を決めていたのですが、今は1曲だけ出してもいいし、一度に20曲出してもいいわけです。

そうなってくると作り続ける環境を維持できるかが重要であり、東京で若いミュージシャンが生活のランニングコストを気にしながら音楽を作るよりは、地方都市に住んでもうちょっと居住性の高い空間を確保したほうがむしろコンスタントにいい音楽を作ることができると思います。

松尾氏
松尾氏

ご存知のように今は楽器も機材もずいぶん安くなりましたし、イーコマースとかでもっと安く買うこともできる、ましてや機材じゃなくともPCでソフトをダウンロードして音楽を制作できる時代です。

極端に言うとベルリンに住んでいる二十歳の人と福岡市に住んでいる二十歳の人が同時に一緒に音楽を作ることもできるのです。だからそういうことを考えると東京に住んで音楽をやっていることはデメリットになるとは思わないですけど、メリット、独占的、既得権益のように貪ってきたようなものがどんどんなくなってきているなって思います。

価値と価値の掛け合わせによって新しい価値が生まれる

深町氏
深町氏

高島市長は市政そのものをイノベーションし続けているイメージがあります。これまでも、地域限定のロールモデルを国全体に広げていくことが日本を最速で変えることができるのではないか、ということを提案されていますよね。実際に福岡でロールモデルを作っていくうえで何が重要になりますか?

高島氏
高島氏

日本全体でフォーマットを決めようとすると、地方はそれぞれ風土も違えば食文化も違いますし、お祭りにしても厳かな祭りもあれば派手な祭りもあります。このように多様な背景がある中で、アウトプットされる音楽や芸能等が統一規格で出されるはずがないと思っています。無理やり統一するとつまらないものになると思うのです。

だからそれぞれの地域が生み出すものを自由に発信することはとても大事ですし、それが個性になり面白いものになるのではないかと思います。

高島氏
高島氏

たとえば福岡にも「めんたいロック」がありましたし、芸能人やプロのアーティストを数多く輩出しています。さきほどスタートアップの話をしましたけど、世界中でテクノロジーが進化しているからこそ、音楽と別ジャンル、つまりこれまでは考えられなかった二つが混じり合うことによって新しいジャンルの何か、もはや音楽かもわからないぐらいの新しい価値を作っていくこともできるのではないかと思っています。

高島氏
高島氏

例えば、福岡市では「The Creators」というイベントを毎年開催しています。

新たな文化やテクノロジーに触れ、最先端のエンターテインメントを体験できるイベントなのですが、テクノロジー×音楽など様々な組み合わせで楽しむステージがあります。

このように何か新しい価値と価値の掛け合わせによってこれまでになかった価値を見出していくことが重要だと思っています。そして個性が光る面白いものが創造される環境が各地方で整ってくるといいですよね。

深町氏
深町氏

福岡はコンパクトシティーが故の「がめ煮文化」が昔からあったと思うのです。何かを混ぜ合わせてケミストリーを起こしてオリジナルなものを生み出すことは福岡のお家芸かもしれないですね。

高島氏
高島氏

混じり合うってすごく大事だと思っています。型を超えて、枠を超えて混じり合うことで人が見たことがないような価値を生み出すって本当にいいことだと思うのです。先ほど松尾さんがコンパクトシティー、つまりサイズ感の話をされていましたが、このスケールだからこそ、いろいろ生み出しやすい、混じり合いやすい要素が街に揃っているのかもしれないですね。

「シンクローカル、アクトグローバル」

松尾氏
松尾氏

高島市長は11年お務めになって、常に福岡市の人口や規模を意識されてきたと思うのですが、福岡市より大きな都市は日本においては数えるほどしかないですよね。海外の都市を参考にすることもあるのですか?

高島氏
高島氏

そうですね。参考にしたのはポートランドです。クラフト感がある街、ちょっとした不便を楽しんでいる感じが凄く響きましたね。

高島氏
高島氏

例えば、今福岡の街で花を育てる「一人一花運動」という取組をしています。福岡市のありとあらゆる場所での花づくりを通じて、人のつながりや心を豊かにし、まちの魅力や価値を高める、花によるまちづくりを目指す取組なのですが、一つの企業が一つの花壇を請け負って年中通して植え替え等をしていただいています。

地元愛が強いからこそ、みんなで力を合わせれば、花の街「フラワーシティ福岡」を創ることができると思っています。この取組はポートランドから学びました。

高島氏
高島氏

海外の都市を参考にすることで見えてきたことがあります。グローバルで大切にされている価値。それは、例えば、ダイバーシティーであったり、インクルーシブであったり、カーボンニュートラル(脱炭素)であったり。そういった、世界共通で適用される基準はとても重要だと思います。

一方で文化に目を向けてみると、「どローカル」こそがグローバルだと思うのです。最初は山笠等の福岡独自の伝統行事を、英語で海外の人にも発信していくべきだと私も思っていたのですが、地元の人だけで、「どローカル」で楽しんでいることこそ、凄いグローバルなのではないかなということを感じています。

松尾氏
松尾氏

私もそう思いますね。例えば、スペインのサン・セバスティアンに世界中から酒飲みが集まってきますけど、そこでずっとスタイルを守っていることで、外から足を運んでもらうほうが今持っているものの良さを崩さずに済むのではないかと思いますね。

深町氏
深町氏

ちょっと前までは「シンクグローバル、アクトローカル」なんて言われていましたけど逆ですね。「シンクローカル、アクトグローバル」になっていますね。

福岡ミュージックマンスと福岡音楽都市協議会

高島氏
高島氏

別に誰かが言い出した訳ではないですけど、福岡では5つの音楽のイベントが偶然にも毎年9月の1ヶ月間に開催されます。夏の終わりを寂しみ、秋になるこの期間にジャンルの違うイベントが毎週末行われているわけです。ある時ふと、グローバルな視点で見たときに、これは、実はすごい強みなのではないかと思いました。正にそのようなタイミングで、深町さんから、この5つのイベントを、「福岡ミュージックマンス」として、対外的に分かりやすくアピールすることで、「音楽都市・福岡」の存在感を示すことができるのではないかという素晴らしいご提案をいただいたのです。

深町氏
深町氏

4年程前にオーストラリアのメルボルンで、世界中の音楽都市が集まるミュージックシティコンベンションという音楽都市国際会議に招かれプレゼンテーションをしました。福岡ミュージックマンスの取組を説明すると、皆さんが本当に驚いて「お前たちはクレージーか!そんな街は聞いたことがないぞ!」と言われてこの取組は特殊なことだったのだと改めて気づきましたね。

松尾氏
松尾氏

気づかなかったということは、福岡ミュージックマンスの参加者はほとんどが地元の方々ということですか?

深町氏
深町氏

そうですね。

松尾氏
松尾氏

ミュージックツーリズムの視点でみると、例えばミスチルのチケットやジャニーズのチケットが東京では取りにくいから地方で開催されるチケットを取って行っている人たちがいます。AKB48が様々なところで選抜総選挙を開催してきましたが、あれも結構なツーリズムだといえますよね。招致運動が行われていたり、ホテルも協力的な体制をとっていたりして。(福岡ミュージックマンスは)ミュージックツーリズムのソフト自体が地元の人たちというところが、ポテンシャルを感じますね。

深町氏
深町氏

今年の4月に福岡音楽都市協議会を立ち上げました。音楽の力って世代を超えたり、価値観を超えたり、思想までも超えられるぐらいの力があるじゃないですか。だから音楽のチカラを活用して、街づくりや観光、教育的な場面、治安改善等を協議会の取組として目指せたらと思っています。

松尾氏
松尾氏

治安改善って具体的にはどんなことですか?

深町氏
深町氏

これはミュージックシティコンベンションでロンドンの事例を聞いたのですが、ロンドンはナイトタイムエコノミーに注力していて、ナイトクラブや劇場のような夜ならではの楽しみを充実させ、文化振興や経済活動を活発化させようという考え方です。

また、ナイトメイヤー(ロンドンでは Night Csar)と言われる夜の市長が誕生しました。こうして、夜のカルチャーがオーバーグラウンド(メジャーな存在)になり、治安の悪かったエリアにスポットが当たったことによって治安が改善されたという実例があるのです。

高島氏
高島氏

ところで、音楽をしている方々は当然かもしれませんが、自己アピールが強いですよね(笑)そして、自己主張が強い人同士ってあまり合わなかったりしますよね。

なので、こうした人たちを束ねようとすると、「俺は束ねられたくない」とか、「あいつがやるんだったら俺は入らない」とかもあるでしょう。個人的にリスペクトする人に対して「兄貴!」と自発的に慕うことはあるかもしれませんが、他人にリーダーシップを発揮されることはあまり好きじゃない。そういう気質ってあるじゃないですか。

高島氏
高島氏

みなさん自由に好きで音楽をやっているので、福岡の街の為に音楽を活用しましょうみたいなことを一方的に押し付けると、拒否感を持たれたに違いないと思うんです。これは深町さんの人柄だと思うのですが、「もっと自分たちの音楽をみんなに聴いてもらおうぜ!」というような形でゆるくみなさんを一つにまとめてくれました。

深町さんのおかげで、9月の福岡ミュージックマンスは対外的に福岡の音楽の魅力を発信するものになりましたし、福岡音楽都市協議会による福岡を日本・アジアを代表する音楽都市にするプロジェクトもついに始動しました。

「ビビンバ」ではなく「がめ煮」の文化

松尾氏
松尾氏

さきほど「がめ煮文化」の話が出てきましたけど、確かに混ぜ合わせるのが福岡の街は得意なのかもしれないですね。

韓国の伝統料理でビビンバがありますけど、混ぜ合わせると最初のテーブルに出された時の形がわからないぐらいまで混ぜちゃいますよね。一方でがめ煮の面白いのが(東京では筑前煮と言っていますが)、総体としては一つの料理の呼び名「がめ煮」ですけど、その中でニンジンはニンジン、レンコンはレンコンで元の形、元の味を残したまま主張しています。

ややこじつけに聞こえるかもしれませんが、さきほど高島市長がおっしゃった無理にみんなを束ねるのではなくて、そのままの個性を残した形で、でも全体としてはあのがめ煮っておいしいよね、あそこで食べるがめ煮って最高だよねとなると理想ですよね。

高島氏
高島氏

松尾さんが面白い例えをされましたけど、原型が分からないほどグチャグチャに混ぜる訳ではなくて、サクッと混ぜるとそれぞれの個性が残る。この塩梅がまさに深町さんの声掛けにより成り立っているので凄くありがたかったなと思いますね。

深町氏
深町氏

「ゆるさ」って意外とキーワードかもしれないですね。束縛的に混ぜていくのではなくて、あくまでもそれぞれの個性をお互い認め合うというのが前提になったら面白いと思います。

松尾氏
松尾氏

深町さんのようなミュージシャンご出身の経歴を持つ方と、学生時代からのミュージックマインドを高いところで維持されている高島市長というこの組み合わせだからこそ、福岡音楽都市協議会ができたのですね。

「公共空間の再配置」で賑わい創出

高島氏
高島氏

新しい取り組みも色々考えていて、福岡の街は歴史的に紐解いてみると交流がずっと街のエンジンでした。教科書の最初に載っている金印もそうですが、大陸の文化や技術、そして様々な人たちが福岡に入ってきて、それが街の原動力になっていました。そして、今でも交流を通して様々な形でアップデートし続けているのです。

高島氏
高島氏

例えば、今、福岡の街では「天神ビッグバン」や「博多コネクティッド」と言われる街の再開発、いわゆるハード面のアップデートを行っています。そうすることで、新しいビルに入居する企業やそこで働く人材など、ソフト面でもアップデートを図っていこうという狙いがあります。

よりクリエイティブな企業や人材、イベントなどを福岡にどう集積させられるか。少し専門的な話になりますが、例えば、建物のオープンスペースなど一般に開放されて自由に通行または利用できる区域のことを「公開空地」と言います。ビルを建てる時にその公開空地を設けることで、ビルの所有者は容積率の緩和などの様々な制度上のメリットを受けることができます。

ただ、本来は天井がなく空まで見えることが公開空地の条件となっています。そこで、もっと公開空地を作りやすいようにその上に建物が被っていても、公共で使えるような広場として作るのであれば公開空地と見なされるような仕組みを福岡市独自で設けました。

高島氏
高島氏

今後開発が進み、街が出来上がる頃には今以上に公開空地が増えて、交流の場がいっぱいできるようになるわけです。そうすることによって、週末にはそこに人が集まって何かができる、例えばそれが音楽の演奏でもいいわけです。このように人が混じり合って楽しめる場所をこれから作っていきます。

松尾氏
松尾氏

さっきおっしゃっていた、広場を提供するっていうのはまさに「博多どんたく」の精神に近いですね。

深町氏
深町氏

公共空間の大事さは今後ますます感じますよね。要は施設からするとお金にならないじゃないですか。公園もそうだと思うのですが、公共空間の在り方として、どれだけ人の心を豊かにして、癒しとして利用していただくかという考え方は素晴らしいと思います。

高島氏
高島氏

「公共空間の再配置」というと難しく感じるかもしれませんが、市長になって最初に手掛けた、屋台を何とかして残したいという話があります。残したいけど実は地元の方からはラーメンのスープを下水に流していてにおいがする、もしくはお酒を飲んで騒ぐからうるさい、なので早くどいてほしいという声がありました。

高島氏
高島氏

一方で残してほしい声もある中で、屋台基本条例を作って、屋台が営業ルールの順守を徹底し、公募で新しい屋台が入ってくることができるような仕組みを作りました。道路の使用目的は法律で定められていて、通行場所であって本来であれば営業する場所じゃないのです。

高島氏
高島氏

そのような中、福岡で独自の条例を作って残すことができました。これがまさに「公共空間の再配置」です。公共空間をいかに面白い場所にするか、要するにそこの街に来たら何か面白くてワクワクする場所があるということです。人はただ食べて、ただ心臓が動いておけばいい訳じゃありません。この命がある限り、いかに楽しめるかが大事だと思うのですよね。

深町氏
深町氏

今や屋台文化や食文化も福岡を代表する文化のひとつですよね。話は変わるかもしれないですけど、松尾さんが上梓された小説「永遠の仮眠」が今話題にもなっています。主人公の音楽プロデューサーの葛藤が非常に印象に残りました。前例や恒例のようなものは、ぶち壊していかなきゃいけないことを小説から気づかされました。

まさにさきほど高島市長がおっしゃった屋台の話もそうですし、公共空間の話ですと、本来であれば少しでも商業スペースにしたいという思いが企業の中にあるはずですが、あえて公共空間が大事だという考え方のイノベーションでもあるわけですよね。

松尾氏
松尾氏

企業の場合は即効性というか、常に前年度比という概念がついて回りますから、目の前のお金を取り逃がすな!みたいな発想に陥りがちです。業界としてシュリンクしていれば益々そうだと思います。でも目先の賢しらな態度はさもしいもので、福岡にかぎらず日本国民全体が、驚くほどのスピードで気づいてきているのではないでしょうか。

(後半へ続く)

松尾潔(まつお・きよし)

1968(昭和43)年、福岡市生れ。西南学院中学校、福岡県立修猷館高校を経て、早稲田大学卒業。音楽プロデューサー、作詞家、作曲家。SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後、プロデューサー、ソングライターとして、久保田利伸、平井堅、CHEMISTRY、SMAP、東方神起、JUJU等に作品を提供。楽曲の累計セールス枚数は3000万枚を超す。日本レコード大賞「大賞」(EXILE「Ti Amo」)など受賞歴多数。『松尾潔のメロウな夜』(NHK-FM)、『関ジャム完全燃SHOW』(テレビ朝日)などに出演中。今年2月、初の長編小説『永遠の仮眠』(新潮社)を上梓した。

『永遠の仮眠』

音楽プロデューサーの悟は、テレビドラマの主題歌制作に苦戦していた。この楽曲がヒットすれば、低迷中のシンガー・義人は大復活を遂げる。悟もすべてを賭けていた。しかしドラマプロデューサーの多田羅は業界の常識を覆す提案を……。その上、日本は未曾有の危機に襲われる。社会的喪失の中、三人の運命の行方は――。