【福岡音楽事始】 第4回〜未来から来たトッドの予言〜
Todd Rundgren JAPAN TOUR ’88
1988年1月17日 福岡郵便貯金会館(後のメルパルクホール)
ソロ・アーティスト、マルチ・ミュージシャン、プロデューサー、エンジニア…。様々な顔を持つトッド・ラングレン。自身のバンド、ユートピアを率いて70年代に来日しているが、初めてのソロ公演を行ったのが1988年。80年代、トッドのアルバムは日本では廃盤状態となっていたが、世界的なCD化とカタログの復刻が進み、トッドの作品も再発された。そういった、再評価ブームの中での来日でもあった。
ライヴは、自らの演奏+コンピューターとの同期が中心。勿論、ギターやピアノでの弾き語りも披露してくれる。そちらの方が受けが良かったりするのだが、トッドはこの時期、音楽制作やライヴに関して実験的な方向を模索していた。しかし途中でコンピューターがフリーズしたのか鳴らなくなり、「仕方ないですね」と言いながらギターの弾き語りに変更した場面もあった。
その後、総勢10名のメンバーを率いたり、ユートピアの再結成もあった。96年に来日した時は再びソロで、生演奏+プログラミングという88年に似たスタイルだった。この時インタビューする機会にも恵まれたのだが、とても印象的なことを語ってくれた。
「インターネットは素晴らしいよ。レコード会社との契約や、レコードやCDを販売して貰うためのショップとの交渉に悩まなくても済むかもしれないんだ。インターネットを活用すれば、自分たちの音楽を世界中の人たちに直接届けられると思うよ。インターネットを通じて買って貰えるという訳さ。そういう可能性を僕は感じている」
96年の時点で、この予言はさすがトッドだと思う。新しいテクノロジーに常に興味を持ち、自分の音楽表現や活動に取り入れて来たトッドならではの発想。インターネット出現後の音楽の未来を、いち早く理解していたのだろう。
記事提供者:元永 直人
福岡市在住。1976年ベイ・シティ・ローラーズの初来日公演を体験しライヴの虜に。以来通った洋邦のライヴは数知れず。また、放送局勤務時代に音楽番組やイベント(MUSIC CITY TENJIN、アジア太平洋フェスティバル、福岡県アジア若者文化交流事業等)に携わる。