【福岡音楽事始】 第3回 ~福岡の音楽シーンを支えた地元放送局の名ディレクター〜

前回も触れましたが、福岡という街が音楽で注目されるようになったのは、チューリップ、海援隊、甲斐バンドといったフォーク・グループが次々とデビューした70年代前半が最初だと思います。その頃、アマチュアだったミュージシャン達を応援したのが地元の放送局のディレクター達。
詳しくはこちらのサイトでも紹介されています(リンク先を開くと電子ブックで閲覧出来ます)。

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「日本のリバプール・福岡を出現させたフォークの騎手と『照和』物語り

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1969年にはKBCラジオとRKBラジオで、その前にはTNCで地元ミュージシャンを応援する番組がスタートしています。数多くのミュージシャンが巣立ったライブ喫茶「照和」が開店するのは1970年。今考えても画期的な出来事でした。

その中で、KBCラジオ「歌え、若者」のディレクターを務められた岸川均氏(2006年逝去)は、「アマチュアのグループの番組をどうしても作りたかった」と後に語られています。そう言ったシーンの中からチューリップなど多くのアーティスト達を輩出していくわけですが、地元のシーンを応援しようという空気をメディアが醸成し、曲が電波に乗って広く紹介されるというは、とても意義深いことでした。

また同時に岸川さんは最新の洋楽チャート番組を1967年にスタートさせます。伝説の番組、「今週のポピュラーベスト10」です。1967年というとドアーズやジミ・ヘンドリックスらがデビューした年。本格的な「ロックの時代」の幕開けでした。パーソナリティは松井伸一アナウンサーで、福岡の洋楽ファンに絶大な影響力を及ぼしていました。当時の福岡のヒットチャートは東京とは少し違い、福岡ならではの特徴がありました。

岸川さんは、レッド・ツェッペリンの初来日時の広島公演(1971年)やT.Rexなどといった日本での洋楽コンサートを数多く体験され、ポール・マッカートニー&ウィングスの1978年USツアーも観に行かれています。「シェリーに口づけ」が大ヒットしたミッシェル・ポルナレフが福岡でコンサートを行なった際、リハーサル用にKBCのスタジオを提供したというエピソードも聞きました。

「音楽に造詣が深く、何より愛情に溢れていた。」今でも岸川さんを慕う方々が、そう語っています。多くのミュージシャンや音楽関係者からリスペクトされ、新曲が上がったら真っ先に聞いてもらっていたそうです。岸川さんは世界に先駆けて、チープ・トリックをいち早く紹介したことでも知られています。

「地元のミュージシャンを応援したい、街を音楽で盛り上げたい」という思いが人々へ伝わり、オリジナルな音楽文化が生まれていきます。福岡でライブを行った海外のアーティストにも、きっと福岡の観衆のノリの良さは伝わっていたでしょう。

岸川さんへのオマージュと九州・福岡の音楽へのエールを込めたイベント「風音」が、岸川さんがミュージシャンになるきっかけを作った石橋凌さんら中心に2007年からスタートし、今でも岸川さんの意志が継承されています。

記事提供者:元永 直人
福岡市在住。1976年ベイ・シティ・ローラーズの初来日公演を体験しライヴの虜に。以来通った洋邦のライヴは数知れず。また、放送局勤務時代に音楽番組やイベント(MUSIC CITY TENJIN、アジア太平洋フェスティバル、福岡県アジア若者文化交流事業等)に携わる。