【特別インタビュー】ラテングラミー賞2度受賞!Septeto Santiaguero

ラテングラミー賞を2度受賞のSepteto Santiaguero.
2022年9月に初来日し、残念ながらメインの福岡公演は台風のため中止となったが、東京・大阪などで、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。

彼らは、「音楽の真髄は演奏者また、観客と観客の間につながりが生まれ、一体となり、言葉はわからなくても心が通じ合えるという事だ」と言う。

なぜ彼らの音楽は世界から求められるのか、リーダーFernandoへのインタビューから音楽の持つパワーを探ってみた。

キューバの伝統音楽である「ソン」

西原氏
西原氏

はじめまして、西原なつきと申します。こうしてインタビューすることができてとても光栄です。今日はSepteto Santiagueroの活動についてや、9月に行われた来日公演についてなどお伺いしたいと思っています。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

よろしくお願いします。

西原氏
西原氏

まずは、日本公演の成功おめでとうございます!!日本は気に入ってもらえましたか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

ありがとうございます。はい、とても気に入りました。

西原氏
西原氏

嬉しいです!日本でのエピソードは後ほどお聞かせいただくとして、早速質問に入っていきたいと思います。

Septeto Santiagueroはキューバの伝統音楽である「ソン」などを演奏するグループですよね。古いイメージをも持たれかねない伝統音楽を演奏する中で、ラテングラミー賞を2度受賞するような「新しさ」はどのような点にあるのでしょうか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

私たちは長年、伝統音楽に携わってきました。私たちの最初の数年間は、学びの期間であったと思います。
当時、地元サンティアゴ・デ・クーバの有名なライブハウス、カサ・デ・ラ・トローバなどの場所で、沢山の偉大な音楽家が伝統的なキューバ音楽を演奏していました。私たちはそこでのステージ経験から多くのことを学びました。

西原氏
西原氏

元々はキューバの伝統音楽を演奏されていたのですね。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

はい、そこでコンテンポラリーな要素を伝統音楽に加えていくという壁にぶつかったんです。とは言っても複雑なことをしていくというわけではなく、ダンサブルなものに変容していく、という方向性に持っていきました。 Septeto Santiagueroのメインで演奏している「ソン」という伝統音楽は、それが可能だったのです。

私たちはダンサブルな曲をレパートリーに取り入れ、人々が踊れるように工夫しています。トランペット、ダンサー、ベース、コンガをはじめとするパーカッション隊、TUMBADO en 3(ソンのベースとなるリズム形式)・・・そのすべてがお互いを助け合うようにステージを作り上げ、欠けてはいけない重要な要素を担っています。

西原氏
西原氏

キューバの伝統音楽においては、ダンサブル=コンテンポラリーという位置づけなのですね。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

一番大事なのは、その意図が観客やファンに伝わり、私たちと観客とが繋がることができるかどうかです。それが、私たちSepteto Santiagueroが持つ他のグループとの違い、伝統音楽を演奏する中の「新しさ」だと思います。より現代的なサウンドの、ポピュラーなダンスミュージック、とも言えるでしょう。

西原氏
西原氏

興味深いです。元々の伝統音楽ソンは踊ることが目的の音楽ではないのでしょうか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

伝統的なソンでも踊りますが、カップルでゆったり踊るペアダンスなのです。以前は伝統的な七重奏団が小さな空間でカップルのためにソンを演奏していて、集団で踊るものではありませんでした。 私たちはペアダンスではなく大勢で踊れるような音楽づくりをしています。 私たちもステージパフォーマンスとしてダンスをして、観客は私たちを真似て一緒に踊れるように促しています。そうすると観客との間に繋がりが生まれる。それが私たちの狙いですね。

西原氏
西原氏

「皆で一緒に踊れるソン」というのが、Septeto Santiagueroの持ち味なのですね。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

聴くためではなく、踊るために作られた音楽、それが私たちのトレードマークです。 いずれジャズやラテンジャズをやるとしても、それは私たちの得意とするところではありません。私たちは常に皆が踊ることを前提に音楽を作っていますね。

西原氏
西原氏

かつて伝統音楽を演奏し学びの時期があった、と言われていたように活動27年間の道のりは長いものだと思うのですが、今のスタイルにたどり着く前に、違うものを目指したりしたことはありますか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

グループのメンバーは、みんな同じような経歴を持っていたわけではありません。 私たちの中には、キャリアを積んだり専門的な音楽教育を受けてきていないミュージシャンもいます。私たちの多くは、趣味で音楽をやっていたのです。 グループをやっていくと決めたとき、「ポピュラーなダンスミュージックをやっていこう」という方向性は明確にしていました。 実際、始めた当初は、「伝統音楽ではなく、サルサだ」と言う評論家もいました。マラカスだったり、より現代的なアレンジをしたために、サルサだと分類されたんです。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

正確に言うと、それは間違っているのです。なぜかというと、サルサ自体が「ソン」の要素を基本にしているわけですから。 でも、そこで気づきました。若者たちがそう思うのは当然で、彼らがそう感じたのであれば、それでやっていこうと決めたのです。

西原氏
西原氏

なるほど。私も「ソン」と「サルサ」の違いははっきりわかっていません・・・教えてもらえますか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

説明するのが難しいのですが・・・。ソンが知られるより先に、サルサが世界的なブームとなり有名になりましたが、サルサのベースになっているのがソンなのです。 サルサはソン以外の音楽ジャンルの要素を取り入れながらも、ソンの音楽の構造を尊重しています。 ソンがキューバ音楽の源流のようなもので、サルサはそこから栄養を得て生まれたものと言えます。

西原氏
西原氏

なるほど。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

ある意味、私たちは長年にわたって進化したグループであり、伝統的なソンの本質を失うことなく、音楽を適応させてきました。 伝統的なソンを、また従来と同じものを繰り返すことを否定しているわけではありません。 セクステート・イグナシオ・ピニェイロや、1920~1940年代の音楽を尊重した上で、伝統からの脱却というか、それらを自分たち流に演奏しています。

西原氏
西原氏

伝統を大事にしながらも、新しいものとしてアレンジして次世代のファンを掴んでいくこと・・・自分たちの音楽を好きなように作っていくことよりも難しいことだと思いますし、何より伝統音楽への愛も感じられます。

ちなみに、今キューバで今聴かれている新しいコンテンポラリー音楽というとどんなものがあるのでしょうか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

若者はキューバだけでなく、他のどこの国の音楽にもアクセスできるようになりました。 キューバでは、サルサをはじめとするダンス音楽が好まれていましたが、ここ数年では、レゲトンが若者に多く聴かれていますね。
そしてこれはキューバ音楽の誇りであるのですが、キューバでレゲトンが流行ると、レゲトンミュージシャンもキューバ音楽の要素を取り入れるようになりました。またその逆で、キューバ音楽を演奏する奏者がレゲトンの要素を取り入れることもあります。

西原氏
西原氏

世代が違ってもお互いをリスペクトして、良いところを取り込みながらそれぞれの文化を育む、とても良い関係性ですね。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

キューバには、伝統的なダンス音楽を演奏し継承しているグループがたくさんあります。 パーティーやカーニバル、週末のイベントなどで人々が踊るための、町の人たちに寄り添うような音楽で、今でもとても人気があります。 キューバにもレゲトンアーティストはたくさんいますが、やはり町の伝統的なダンス音楽から影響を受けています。 他にも、ボレロやダンソン(キューバのダンス音楽の一種)ほどの人気はなくとも、演奏され続けているキューバ音楽は沢山あります。 私たちの音楽でさえ、聴衆は限られています。私たちはもっと若い人たちがついてきてくれるように頑張っていますが、より惹きつけられるように、さらに工夫していかなければなりません。

西原氏
西原氏

音楽の他にも、沢山の素敵なミュージックビデオを作っていますよね。大好きなのですが、これも、若い人へのアプローチ、ということなのでしょうか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

その通りです。この時代、音楽家は音楽を作るだけにとどまらないというのが、私の考えであり、コンセプトです。音楽は、言い方は変ですが、聴いたり見たりすることができます。 Youtubeなどでビデオを発信・視聴することができ、またソーシャルネットワークがあります。アーティストにはファンクラブやフォロワーが存在し、アーティストとフォロワーが直接つながることができます。 以前はアーティストというのはとても遠い存在でしたが、今はそうではありません。表現の先にダイレクトなフィードバックやファンとのコミュニケーションがあります。

西原氏
西原氏

アーティストがより身近な存在になっていますよね。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

そうです。それから、現代の技術では、ミュージックビデオを制作してグループの音楽のイメージを映し出すことができます。私たちは、サンティアゴ・デ・クーバのルーツを若者に継承するために、常に活動しています。音楽という手段で、サンティアゴ・デ・クーバがどんなところなのか、どんな文化を持つ町なのか、フォロワーの皆さんに伝えています。

西原氏
西原氏

キューバの街を訪れたことのないファンにとっては尚更、嬉しいコンテンツです。音楽の背景にあるものを知るとイメージが湧いてより深く楽しむことも出来ますし、いつか実際に行ってみたい、という気持ちにもなります!

育った土地の伝統音楽

西原氏
西原氏

グループ名ともなっている、「サンティアゲーロ」。=サンティアゴの、という意味ですが、みなさんサンティアゴ・デ・クーバという街出身のグループですよね。伝統音楽「ソン」はサンティアゴ・デ・クーバが発祥の音楽ですが、この街はキューバの首都ハバナのような、大きな都市ではないと認識しています。 影響を受けて育った土地の伝統音楽が、世界的な影響を与えていることについてどのように思いますか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

私たちは幸せですが、もっともっとできることがあるとも思っています。私たちが作る音楽から、そしてサンティアゴ・デ・クーバが持つものから、もっと多くのものを得ることができるのでは、と。 サンティアゴ・デ・クーバに住み、この土地の影響を受けられるのは幸せなことです。この土地から生まれた音楽の影響、ラテン音楽全般やトロピカル音楽にもたらしたものについて考えると、その恩恵というのは泉として湧き出ているようなもので、それはもっともっと活かされるべきものです。

西原氏
西原氏

地方都市にして音楽の都のようなところなんですね。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

通常、ハバナ発の音楽がムーブメントとなることの方が多いですが、それでも私たちは自分たちのやることに大きな成果を上げています。
ラテン音楽というジャンルにおいて大きな成果を上げ、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカを旅し、そして今回はアジアでもツアーを行い、サンティアゴで作る音楽が反響を呼んでいることを実感しています。 ラテン・グラミー賞を2度受賞に加えて4度のノミネート、またグラミー賞にも1度ノミネートされています。 サンティアゴ・デ・クーバの音楽が、数々のグラミー賞で検討されているということです。
サンティアゴ・デ・クーバで活動する多くのグループやプロジェクトが「この町の伝統音楽であるソンやボレロを守る」という意思を持ち、長年に渡り質の良い音楽活動を続けていながらも、その全てが私たちのような成功はしていません。

西原氏
西原氏

街の人々もきっと誇らしいに違いありませんね。
公式サイトで、毎週の町のライブハウスでの演奏予定の案内を拝見しました。世界ツアーを続けながらも、今も地元で毎週演奏をされているんですか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

はい。火曜日はカサ・デ・ラ・トローバで、土曜日はサロン・デル・ソンで仕事をしています。また、例えば今はソン・フェスティバルで演奏する予定ですし、ハバナでも演奏します。海外ツアーをすることはそれとして、私たちはサンティアゴ・デ・クーバに住んでいて、この町にファンがいるのです。

西原氏
西原氏

観光地というより、地元の人たちのための場所で演奏されているということでしょうか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

そうです。もちろん観光客お断りの場所という意味ではありませんが、例えばホテルなどの観光客向けの場所で演奏するのではなく、サンティアゴ・デ・クーバの町中で演奏しています。

西原氏
西原氏

素晴らしいですね!世界中でツアーをしている今でも、ルーツである故郷のファンを一番大事に考えているんですね。

世界ツアーについて

西原氏
西原氏

ではツアーについてお聞きしたいのですが、世界各地・ヨーロッパやアメリカ、アジアなどで演奏されているということで、各地での聴衆の反応というのは違いますか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

はい、3種類の反応がありました。 ひとつは、最初の数曲はまるで新しいものを観察するかのように静かに聴きます。まるで「これは一体どういう音楽なんだろうか?」と考えているかのように・・・。そして、曲が進みコンサートが終わる頃には、どこの国の人々よりも踊っていた・・・というのはドイツの例です。

西原氏
西原氏

ドイツですか、どこの国の人よりも踊っていたとは意外です。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

もうひとつはコロンビアやメキシコ、アメリカの観客でしょうか。そもそも踊る人々が多いので、一曲目から最後まで踊りやみません。アメリカは都市によっても雰囲気は違いますが、だいたいこのようなタイプです。

西原氏
西原氏

そこは想像通りです!知性で聴くのではなく、本能、血が騒ぐ、というような感覚ですよね。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

そしてもうひとつは踊るためだけに来ていない観客が多い場合です。その場合は観客を巻き込まなければなりません。音楽家が演奏して大衆が受け止めるだけではないのです。 例えばコーラスとして一緒に参加してもらったり、曲の中のフレーズをその国の言語に歌い替えたり、手を上げたり、振り付けをしたり・・・。
私たちにとって重要なのは、人々がコミュニケーションをとること、つまりは観客が我々の音楽にリアクションすることです。

西原氏
西原氏

踊ることに慣れていない人たちへも、コンサートを楽しめるように工夫されているんですね!

フェルナンド氏
フェルナンド氏

アーティストにとって一番嬉しい報酬は、観客から贈られる拍手です。そして私たちにとってはもうひとつ、我々の音楽で踊っている観客を見ることが最大の賛辞でもあります。 両方を持ち併せれば、それはすなわち大成功ということです。 観客の拍手と踊っている様子から、自分たちは喜びを感じ、こちらももっともっと楽しんで欲しいと熱くなります。

西原氏
西原氏

すごくわかります。私もアルゼンチンでミュージシャンとして毎日ショーで演奏をしているのですが、毎日同じ演目でも、観客の反応は日々少しずつ違います。特に良いショーが出来たな、と思う時は自分たちがハイテンションで音楽を楽しんでいる空気が観客にも伝わって、その拍手が私たちをさらに盛り上げて・・・と会場全体がどんどん盛り上がっていくときです。幸せですね。

西原氏
西原氏

2022年9月が初来日だったということですが、日本の観客の反応というのはどのように感じられましたか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

とても印象的でした。礼儀正しく、勉強熱心な観客だと感心しました。観客のほとんどが私たちの公演を見るのは初めてだったと思うのですが、特別な動機を持って来てくれたわけですよね。 満席の会場を前に、よし踊るぞと期待を膨らませながらステージに上がり、観客と目と目を合わせながら、彼らが何を感じているか、肌や血管を通してその気持ちを感じられたこと、それが日本で受け取った最高の贈り物でした。
こちらは日本語も何もわからないのに、コンサートが進むにつれて、私たちとつながって、踊ってくれるようになったこと。そこには、最大の感謝を持っています。 私たちはステージを降りた後、バンドと日本の観客の反応やつながりを感じられたことに大興奮でした。初来日は大成功でした。

西原氏
西原氏

大成功、おめでとうございます。私もいつかコンサートに行ってみたいです。
海外公演での言語の壁というのは感じることはありますか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

言葉の壁はありますが、それは障壁ではなく、すぐに打ち破れる壁です。私たちはその壁をいかに早く取り払えるか工夫しています。 音楽は世界共通言語であり、エネルギー、ステージ上のパフォーマンス、喜びは音楽を通して人々に届けられます。血が騒ぐ、魂が喜ぶ、といった感覚をもたらすのは音楽の持つ力です。 同じ言語を話さなくても私たちと繋がり、一緒に踊ることができます。

ステージに上がっても何も伝えることがなければ、人々は私たちとはつながりません。 また、もしも同じ言葉を話していたとしても、それは同じでしょう。俳優やミュージシャンとして最も大切なこと、それは「つながる」ことです。

西原氏
西原氏

大いに納得ですし、私にとっても心に刻んでおきたい言葉です。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

情熱を持って仕事をしなければ、人は興味を持ちません。だから、ステージに上がったらパフォーマーとしてのスイッチが入ります。そして、観客が自分についてきてくれているときには、気づかないうちに時間が経っているものなのです。

西原氏
西原氏

お話を聞いていて、Septeto Santiagueroが世界中で人々に愛される理由がよくわかります。 伝える、ということの大切さ。言語が違っても、正しく言葉を喋れなくても、それよりも他者とコミュニケーションをしたいという意思を持つことが大事、というのは私もスペイン語を勉強し始めてから学んだことのひとつです。

日本の中で、特別に気に入った都市などはありますか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

どの都市も好きでした。今回は滞在時間が短かったので、観光などはほとんどできませんでしたが・・・。一番長く滞在した東京はとても気に入りましたし、大阪も好きでした。 お箸を使って食事をしたり、買い物に出かけたり、奈良の東大寺を訪れたり。 特に印象に残っている日本での公演は、東京公演ですね。

西原氏
西原氏

この来日公演をオーガナイズしたのは福岡のティエンポ・イベロアメリカーノ (以下略・ティエンポ)だったんですよね。その設立25周年という特別な年に、毎年サルサグループと行っているツアー「VIVELA SALSA TOUR」初めてのソンのバンドとして招待され、福岡公演も2つ予定されていたそうですが、その2公演は実現しなかったんですよね・・・。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

そうです。ラテンアメリカと日本の音楽の架け橋として様々なイベントを行っているティエンポの25周年記念式典に、私たちが選ばれたのです。私たちは福岡公演用に、他とは異なるレパートリーを準備してとても楽しみにしていたのですが、台風で中止になってしまったのです。福岡には返さなくてはいけない借りができました。私たちは、いつか福岡で公演が出来ることを祈っています。福岡がやりましょうと言ってくれるなら、いつでも行く準備は整っています。

西原氏
西原氏

パンデミックの影響かと思っていましたが、台風でしたか!

フェルナンド氏
フェルナンド氏

はい、特に初めていく都市では、コンサート前の不安というのは常にあって、一番緊張します。観客のどんな反応が来るかと思ったら台風が来た、というのはあまり他にはない経験です。

西原氏
西原氏

残念でしたが、次回があることを祈ります。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

私たちの海外ツアーは、スペインを皮切りに、オランダ、ベルギー、ノルウェー、フィンランドなどを回り、最後に日本に着きました。 移動のトラブル、台風、日本滞在の最後の日には地震もあったり。サンティアゴ・デ・クーバでも地震はありますが、あの一晩のことは忘れられませんね。

西原氏
西原氏

福岡へのリベンジ、とんでもないことになりそうですね!

フェルナンド氏
フェルナンド氏

ハハハ、そうであってほしいです。私たちのグループが日本で反響を呼んだ後、多くのアーティストが、私に日本に行きたいと声をかけてきました。キューバだけでなく、世界中の国際的なアーティストたちからも、「日本に行くにはどうしたらいいか」と電話がかかってくるのです。日本での公演にとても興味を持っています。

西原氏
西原氏

それは嬉しい事ですね。
日本のバンドとのコラボレーションなどはしたことはありますか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

そう、僕らのツアーの中で一緒に演奏したことのあるいくつかのバンドは、たいていキューバやラテンの音楽を演奏するバンドです。 実験的にやってみたいと思っているのは、日本の音楽とのコラボレーションです。お互いの音楽にリスペクトした上でのフュージョンと言いましょうか。どうなるかはわからなくても、何か面白い化学反応があるかもしれません。

西原氏
西原氏

おもしろそうです!

フェルナンド氏
フェルナンド氏

私たちグループは他のミュージシャンともコラボレーションしてはいますが、自分たちが居心地の良い、慣れた場所から抜け出して、他のミュージシャンや別の音楽のジャンルのフィールドに参加していくべきかもしれません。

西原氏
西原氏

ソンを大事にしながらもサルサのエッセンスを取り入れた、というエピソードを聞いた時にも感じましたが、とても考え方が柔軟だと感じます。他者をリスペクトして受け入れ、いい意味でこだわらないというか。

日本のミュージシャン・グループで、知っている人や気になっている人などはいますか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

日本の音楽はあまり知りません。 日本でラテン音楽を演奏しているミュージシャンやオーケストラ、例えばオルケスタ・デ・ラ・ルスは知っています。キューバで聴かれ始めたのが80年代、90年代で、当時とてもセンセーショナルでした。また、私たちの音楽を学びに来てくれる日本のミュージシャンもいます。 しかし、日本の音楽に対する知識を深めて、ジャンル外のコラボレーションを実現したいということはずっと思っています。ティエンポと、どんなことができるかアイデアを探っていきたいですね!

西原氏
西原氏

ぜひ、面白いコラボ企画を練りましょう!

ポスト・パンデミックと音楽の在り方

西原氏
西原氏

また、今回がパンデミック後に初となるヨーロッパ、日本ツアーとなったわけですが、「ポスト・パンデミックと音楽の在り方」をどのように考えますか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

パンデミックは、人生においても、人々に多くのことを考えさせるものであったと思います。音楽に関しては創造の手段を増やしたと言えます。パンデミック前からオンラインでの可能性はすでに存在していましたが、皆生演奏を大事にしていましたから。 パンデミックではその新しい道を開拓していくことができたと思います。私たちはその方法で発展することに力を注ぎました。 アーティストが家にいる観客のことを考えて作った音楽が、世間を大いに賑わせましたよね。音楽がぐっと豊かになり、パンデミック期は音楽が増えたと思います。 そしてパンデミック後の今、私たちは一般の人々と直接交流することができます。ポジティブに焦点を当ててみると、音楽を作り、宣伝する方法が増えたということです。

西原氏
西原氏

その通りですね。私もパンデミック中に音楽の仕事はなくなり、日本にも帰れなくなりましたが、アルゼンチンからの発信や出来ることを探しました。ライブで表現する以外の可能性の幅が広がったのはもちろん、活動のプロモーション方法やセルフプロデュースについても考えが深まったように思います。

さいごに

西原氏
西原氏

もう少し時間があるということで、最後に個人的に興味のある質問をさせてください。 キューバの音楽家のレベルの高さは世界的にも認められていますよね。 先ほどもグループのメンバーは趣味で音楽をやっていた人が多かった、ともおっしゃっていたように社会生活や町中での音楽体験から得られるものなのか、それとも教育レベルの高さによるものなのでしょうか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

キューバのアカデミックな教育レベルは非常に高いです。子供のための音楽教育があり、音楽学校、さらに勉強したい人にはより専門的なコンセルバトリオ(芸術大学)があります。 そこでは最高レベルのアーティストたちが育っており、人材の宝庫のようなところです。 子供たちが幼い頃から勉強できるようなこの環境が、国際的に通用する才能を生み出すことを可能にしているのです。 キューバでは勉強もできて、才能のある子なら音楽学校にも行けます。 また、芸術の先生のための学校もあり、彼らは音楽家でもあるのですが、教えることを職業としています。

西原氏
西原氏

日本とそんなに変わりはないですね。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

そしてその一方、言われる通り下町やその地域の音楽から育つ音楽家もいます。 親戚や近所の人だったりに楽器を弾く人や歌う人がいて、学校に行かなくても、彼ら・彼女らから多くのことを学ぶことができます。 一流レベルのアーティストの中にも、アカデミックな音楽の専門教育を受けずして、音楽学校で学んだようなレベルを持つ人もいます。
地域、町で生まれるもの、その全てがキューバの特性であり、それは私たちの喜びでもあります。 お隣さんがコード(和音)を教えてくれたら、それを自分は隣の子供に教える。世代から世代へと、そうやって伝えていく中で自分たちの音楽を形成しているのです。 趣味で音楽をやっている人たちのために、沢山のイベントやフェスティバルが普通の学校などを会場にして行われます。

西原氏
西原氏

そんなお隣さん、欲しかったです!

フェルナンド氏
フェルナンド氏

例えば、私もそうやって音楽を始めたうちの一人です。ある人は楽器を演奏し、ある人は踊り、ある人は歌います。そしてそのうちパフォーマンスの場所は学校だけに留まらず、地域を周り、全国規模のイベントに参加するようになり・・・そうやって、音楽学校に行かずにアーティストになっていくのです。

西原氏
西原氏

旅をしていて気づいたかもしれませんが、キューバ人の音楽に対する重要性は他の国にはないものだとも思うのです。キューバで音楽が重要視される理由やセオリーがあれば教えてもらえますか?

フェルナンド氏
フェルナンド氏

それを説明するのは複雑ですが、おそらく歴史と関係があると思います。歴史は大切です。
その昔、多様な社会や格差を超越して生まれた音楽家がたくさんいます。キューバはかつて、スペインの文化とアフリカの文化の2つが入り混じりながら、人々は生活していました。それがキューバ音楽のルーツに大いに影響を与えています。 そして、他のジャンルとつながりを持ち、距離的に近かったアメリカ合衆国、プエルトリコ、ドミニカ共和国などの音楽もキューバ音楽にインスピレーションを与えています。
それに加えキューバ人は、自分たちの持つ困難や限界を超えて、創造や新しい挑戦をするタフさがあるのです。

西原氏
西原氏

その「タフさ」、納得できる気がします。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

キューバにはどこでも音楽があり、音楽やダンスのないパーティーはありえません。 子供たちは、オギャーと生まれて歩き始めるのと同時に、ダンスや体を動かすことを教わります。 そんな風に育っているので、ちょっと演奏に行くと、キューバ人は専門家以上に知識を持って意見してくるんですよ。本当に私たち以上に知識があったりするのですから、侮れません。世代から世代へ受け継がれる「町の中での経験」というのが、物心付く前から体に染み付いているわけですからね。

西原氏
西原氏

今日はとても面白いお話をありがとうございました。 最後に、日本のファンにメッセージがあればお願いします。

フェルナンド氏
フェルナンド氏

日本の皆さんへ、特に私たちのコンサートに参加してくれた皆さん、ツアーの企画をしてくれたティエンポへ、Septeto santiagueroにとって、最も印象的で美しい思い出のひとつであるこのツアーに関わってくれたすべての人々へ、愛を送ります。

西原氏
西原氏

ありがとうございました。ぜひ、また日本に来てください!

フェルナンド氏
フェルナンド氏

もちろん、ありがとうございます。また、お会いしましょう。

2022.11.08 オンラインにて