【インタビュー】漫画家 長谷川法世 「日本のエンタメを築いた川上音二郎」(前編)

※左から深町健二郎さん、長谷川法世さん

音楽都市福岡キュレーションメディア「OTOJIRO」は、博多が生んだ日本のエンターテインメントの始祖と言われている「川上音二郎」にちなんで名付けられました。
漫画家でありながら川上音二郎忌世話人会 代表世話人として長年、川上音二郎を追い続けている長谷川法世さんに、川上音二郎が歩んできた人生についてお話を伺いました。

長谷川法世さん代表作!「博多」を全国に広めた博多弁満載の青年誌「博多っ子純情」

深町氏
深町氏

まず最初に、川上音二郎111回忌に参列させていただきありがとうございました。おかげさまで私にとっても非常に記念になりました。今回は111回忌で11月11日という1尽くしの記念すべき日だったと川上音二郎の末裔でいらっしゃる川上晃さんがおっしゃっていましたね。毎年法世さんが案内なさっているんですか?

長谷川氏
長谷川氏

よく来ていただきましたね。ありがとうございます。明治で言っても44年なんです。44年の11月11日。誕生日は1月1日。まぁ、生まれた日は本当なのかなという気もしますけどね。川上音二郎忌世話人委員会の代表世話人として毎年案内しています。

深町氏
深町氏

昔の方はめでたい日に誕生日を合わせたりすることがあるらしいですね。

長谷川氏
長谷川氏

そうそう。うちの親父も1月1日でした。

深町氏
深町氏

さて、今日はなぜ福岡がこれだけ数多くの芸能人や、音楽人、法世さんのようなクリエイターたちを輩出し続けているのかという理由を少しでも探ろうと思い、川上音二郎にフォーカスしてお話を伺えたらと思います。

長谷川氏
長谷川氏

音二郎の存在は大きいと思いますよ。

深町氏
深町氏

やはりそうですよね。私も福岡の文化・芸術・エンタメなどを遡っていったら、川上音二郎にどうしてもたどり着くんですね。

長谷川氏
長谷川氏

世界の音二郎が出たことでみんなが芸を披露しやすくなったとおもいます。また、もともと博多どんたくの源流である博多松囃子があって、芸事の好きな風土なんですよね。

深町氏
深町氏

もともとのぼせもん気質というか、福岡のそういう風土もあったんですね。

長谷川氏
長谷川氏

音二郎の父親は川上専蔵というんですけど、鼓の名手なんです。博多で最初にできた仁和加の団体といわれる「鬼若組」に所属していて、名簿には鼓の名手と書かれています。博多商人でした。

長谷川氏
長谷川氏

桃山時代に豊臣秀吉に可愛がられた博多商人の神屋宗湛がいます。天正15年(1587)の正月に秀吉は大阪城で大茶の湯の会を開くんですが、宗湛も博多から呼び出されました。みんなが集っている大名たちが控えている広間に秀吉が来て、「筑紫の坊主、どれぞ」と呼びかけ、「筑紫の坊主ひとりに見せよ」といって、名物を飾ってある別室へ石田三成に案内され、ひとりだけ見せてもらっているんですね。食事も石田三成が運んだといいます。

長谷川氏
長谷川氏

博多商人の絶頂期でした。ちなみに黒田官兵衛さんは一万石でした。9月には九州征伐の戦功で17万石になりましたけど。話がそれましたね。

深町氏
深町氏

早速たくさんの知識がでてきてちょっと驚いています(笑)長谷川法世さんの話もお伺いしたいと思います。1976年から連載された「博多っ子純情」は、私が中学校2年生ぐらいだったんですけど、主役である郷六平とほとんど同世代なんですよ。なのですごく感情移入していました。

深町氏
深町氏

山笠をはじめとして、博多の街のことを法世さんから教えていただきました。福岡の人達に限らず、漫画アクション(双葉社)って全国区なので実は長谷川法世さんが福岡、博多を全国的に有名にしてくださったと思っています。

特別インタビュー
長谷川氏
長谷川氏

多少はあったかもしれませんね。

深町氏
深町氏

私は1980年に大学進学で上京するんですけど、福岡出身であることが誇らしかったですよ。別に恥ずかしがらなくても良いし、「博多っ子純情」自体はもう博多弁満載じゃないですか。当時全国誌で博多弁を使った漫画はなかったと思うのですが、あれだけコテコテな博多弁で漫画を描くというのは画期的だったんじゃないですか?

長谷川氏
長谷川氏

「博多っ子純情」を博多弁で描けたのは実は武田鉄矢さんのおかげなんです。

深町氏
深町氏

「母に捧げるバラード」ですね。

長谷川氏
長谷川氏

そうです。あの曲が博多弁で歌われていてヒットしましたよね。実際にラジオでも聴いていてね、年来の夢である博多弁を使った漫画が描けるじゃないか!ってね。漫画アクションで一本だけでもいいからぜひ描いてほしいという状況だったので、「博多弁で全部書いても良いですか?」と強気で押したんです。そのときにやっぱり母バラがなければ、ちょっと話は違ったかもしれないですね。

深町氏
深町氏

なるほど。あれが良いきっかけとして存在したということなんですね。

長谷川氏
長谷川氏

うん。あれをみんなが知ってたからね、博多弁おもしろいねと。

深町氏
深町氏

私自身もまあまあ博多弁使うほうでしたけど、それでも知らない博多弁が漫画には結構出てきますもんね。

長谷川氏
長谷川氏

それはやっぱり盛りますから、漫画なので(笑)総タイトルが「博多っ子純情」なので、全375話のタイトルは全て博多弁や博多にちなんだものにすると決めていました。内容から考えてタイトルをつけるときと、博多弁のタイトルから考えて内容を考えるときがあるんです。

長谷川氏
長谷川氏

そのときに博多弁の辞典があって良く活用していました。まとめたのは芥川賞候補になった原田種雄さんで、今でも中洲に石碑が立っています。タイトルから決める時はパラパラとめくって目をつぶって「これだ!」って指で押さえるんです。それでそこにある博多弁でストーリーを作っていました。

深町氏
深町氏

それはとてもおもしろいエピソードですね。

長谷川氏
長谷川氏

自分でやっていたらなんとなく同じところばかりさすんですね、同じ感じの言葉。だからスタッフに「お前ちょっとやってくれ」って言って。でも気に食わないともう1回やれとか言って。そういう感じで漫画ってできるんです。

深町氏
深町氏

私にとって、博多のことも性教育も法世さんから教えてもらいましたよ。

長谷川氏
長谷川氏

あの漫画は青年誌なんですよ。中学生は読んじゃいけないの(笑)大学生以上を対象に書いたのであれだけ書けたんだけどね。中学の時から読んでいる人が多かったみたいですね。

深町氏
深町氏

みんな読んでいましたよ。「博多っ子純情」はバイブルみたいなところがありました。

長谷川氏
長谷川氏

漫画アクションは不思議に子供に受ける作品がでるんですね。ルパン三世なんかもそうだし、今でもクレヨンしんちゃんとかね。

深町氏
深町氏

あの頃は漫画からそういうことを学ぶみたいなところがありましたよね。
チューリップが「博多っ子純情」って曲を出しましたよね。あれは法世さんに「このタイトルを使って良いか」という相談があったんですか?

長谷川氏
長谷川氏

使って良いかというより、「できたんですけど聴いてください」でしたね。

深町氏
深町氏

もう作ってたんですね。

長谷川氏
長谷川氏

タイトルには著作権ってないんじゃないかな。

深町氏
深町氏

ないかもしれないです。絶対に法世さんの「博多っ子純情」へのリスペクトから曲になってますよね。

長谷川氏
長谷川氏

ありがたいですね。

深町氏
深町氏

それこそ映画にもなりましたよね。主役である郷六平を光石研さんが演じていました。今や有名な役者さんとして活躍されていますよね。もともと北九州出身みたいですね。

長谷川氏
長谷川氏

脇役の王様ですねえ。たしか映画のとき大学1年でね、漫画と同じ中学生だと映画で拘束するのが難しいとかで。

深町氏
深町氏

博多っ子純情がなかったら光石研さんは役者とかされてないかもしれないですね。

長谷川氏
長谷川氏

そうですね。あのころタレント養成所はこちらにはなかったかもですね。

深町氏
深町氏

おそらくなかったと思いますよ。そういうご縁もいろいろ法世さんが作っていらっしゃるんですね。

長谷川氏
長谷川氏

きっかけにはなっているかもしれないですね。本人の知らないところでいろいろものが進んだりして。作品というのは世に出れば作家の手を離れるという。

深町氏
深町氏

なるほど。でもそれぐらい影響力がすごくある漫画になったということは、実際裏付けられていると思います。

長谷川氏
長谷川氏

それは嬉しいですね。今でも「博多っ子純情」っていえば知っている人は結構いますので。福岡は防人の昔から転勤族の町でしょ、今では幹部になっている年齢の方が赴任してきてね。名刺交換のときに「読んでました」って。

深町氏
深町氏

福岡からたくさん音楽や芸能系が出ていますけど、そういうときにみんな自信を持って 「私は福岡出身です!」みたいなことがちゃんと誇らしく言えるようになったのは「博多っ子純情」のおかげだと思います。

「改良」という文明開化の中で生きてきた「川上音二郎」

深町氏
深町氏

WEBメディア「OTOJIRO」でも名前を使わせていただいていますが、エンターテイメントの始祖である川上音二郎さんとの出会いのきっかけは何だったんですか?

長谷川氏
長谷川氏

石碑ですね、誕生碑。

深町氏
深町氏

承天寺のお墓とは別にありますよね。

長谷川氏
長谷川氏

古門戸町にあります。私は博多第二中学校に入学するんですけど、冷泉小学校から博多二中に行くんですよ。二中は奈良屋小学校区にあるんです。なじみのない町を歩くことになって誕生碑にであったんです。

深町氏
深町氏

音二郎さんは古門戸町出身なんですか?

長谷川氏
長谷川氏

今は古門戸町になっているけど、昔は対馬小路なんですよ。親父が「この道を通って行きなさい」って言ったのが川端商店街の一本手前の道。今で言うと博多座とリバレインの間の道です。それをまっすぐ行けば二中に出ます。途中に沖濱稲荷というのがあって、そこに誕生碑があったんです。いまでもね。

特別インタビュー
長谷川氏
長谷川氏

余談ですが私は小学校からずっと級長やらされましてね、中学校に入っても先生の指名で1学期は級長させられたんです。中学校は小学校区の混ぜこぜだから選挙は2学期からやる。だから入学式のときに生徒代表でしゃべらされたんですよ。入学に先立って実力テストみたいなのがあるんですけど、下手するとその成績が一番だったんじゃないですかね。

深町氏
深町氏

すごいじゃないですか。

長谷川氏
長谷川氏

それからは下る一方ですけどね。

深町氏
深町氏

そのときがピークみたいな。いやいやいや、そんなことはないでしょう。

長谷川氏
長谷川氏

小中学校までは神童。あとはもう坂をローリングストーン。

深町氏
深町氏

(笑)もうネタになっています。

長谷川氏
長谷川氏

話は逸れましたが、登下校は正面向いて脇見をしちゃいかんという気持ちで歩いてましたね。

深町氏
深町氏

まさに神童らしい生徒だったんですね。

長谷川氏
長谷川氏

真っ直ぐ前を向いて歩いていても、目の端っこに石碑が見えるんですよ。

深町氏
深町氏

誰から教えてもらったわけでもなく発見されたんですね。

長谷川氏
長谷川氏

その石碑を見ていたら川上音二郎という字が見えるんです。その上には新演劇祖、その隣には喜多村緑郎書って書いてあるんです。劇団新派を作った人なんですが、これは余計なんだけど緑郎さんて音二郎とそりがあわなかったんです。

長谷川氏
長谷川氏

話を戻します。音二郎が芝居をやり始めてヒットしたので芝居好きの人間たちが、「じゃあ自分たちもやろう」って言って、やるようになったんです。そのときに歌舞伎が旧派と呼ばれるようになって、新聞なんかも歌舞伎は旧派、新しい演劇を新派、あるいは旧演劇、新演劇と言い始めた。それを喜多村緑郎さんが劇団新派って言って自分のものにしちゃったの。最初は音二郎なんかが新派って言われていたのに。。

深町氏
深町氏

横取りじゃないですけど、おいしいところを取っていったわけですね。

長谷川氏
長谷川氏

うん。でも誕生碑で仲直りしたんだねえ。音二郎は正劇を名乗ります。セリフだけで踊りや歌のない演劇をスピーチ劇、声劇といったそうですが、声劇こそ正しい演劇だというわけです。

深町氏
深町氏

改良演劇という言葉もありましたよね。

長谷川氏
長谷川氏

「改良」という言葉がその時代キーワードで流行ったんですよ。今だったら流行語大賞をとるくらいの。文明開化でなんでも日本のことを改良しなきゃいけないとか。お雛様のお内裏様とお雛様の並びですら左右反対になりましたからね。明治維新になって西洋化を進めるにあたって、つまり改良の一環ですけど、天皇陛下が外国人と会うようなときに皇后陛下の右隣に立つようになりました。それまでは帝の左が左大臣、右が右大臣。もちろん隣ではなく脇ですね。

深町氏
深町氏

ファーストレディーの考え方なんでしょうかね。それで入れ替わってるとは知らなかったです。

長谷川氏
長谷川氏

飾り方が違う。ということなんですよ。明治というのはだんだん調べていくとおもしろいことばかりだけど深いんですよね。国土全体に、国全体に及んで改良が進んでいるから、文明開化が。

深町氏
深町氏

奇しくもその時代に川上音二郎って世に出てきますよね。

長谷川氏
長谷川氏

その「改良」の波に乗って先端を行ったのは川上音二郎だと思います。それから、国民意識について日清戦争がきっかけで国民に根付いたと言われているんですが、その以前から音二郎は国民ということを自覚して自分たちの主張を芝居の中に入れてやっていたようですね。

長谷川氏
長谷川氏

この頃に政治家や官僚等が主導で演劇改良会というのができたんですよ。それが目指しているようなところを音二郎はやるんですね。芝居の中に入れ込まないと主張できないからですね。その時に鑑札がいるんですよ。税金を払って、芸人の鑑札をもらうんです。芸人といってもいろいろあるんです。

深町氏
深町氏

資格的なものが必要なんですか?

長谷川氏
長谷川氏

そうなんです。警察署からもらうんだけど、発行は県令とかですね。なんせ警察でもらうんですよ。そのときに歌舞伎のランクによって、払う税金が違うんですよね。音二郎がやり始めたのは、改良落語で、落語は寄席でやるでしょう、それで寄席芸人の鑑札を受ける。それが、今でも音二郎は芸人と呼ばれる元になってますね。のちには俳優の鑑札を貰ったのに。

深町氏
深町氏

名前がちょっとおもしろかったですよね。改良落語家の時の。

長谷川氏
長谷川氏

浮世亭○○(まるまる)ですね。落語を始めたのは、それまでやっていた政治演説を新しい条例でできなくなったからでしてね。後の治安維持法になる保安条例というのができて、それで民権運動の人間たちを現場の警察官が違法って決めたらすぐしょっぴけるという。

深町氏
深町氏

そんなに厳しいことがあったんですね。

長谷川氏
長谷川氏

集会条例や新聞紙条例なんかで言論の封じ込めをやるんですね。それをやられたので、政治演説会がものすごく開きにくくなった。代議士の候補者が政治演説会をやるのは良いとかね。代議士になった人が自分の報告会としてやるのは良いとかね。それ以外のやり方だとものすごくしにくくなるんです。

深町氏
深町氏

音二郎さんは政治家にはなりたくなかったみたいなところがあるんですかね。

長谷川氏
長谷川氏

いや、自分の望みは総理大臣であるとか言ってますよ。だから国民意識を持ったというのはそういうことなんです。国民は国のために年間20円の税金を払って国を動かす一票を獲得して選挙をやって、25円払うと被選挙権がもらえる。当選して議員になって、そのまま出世していけば総理大臣になるわけじゃないですか。それを言うんですよ、音二郎は。

深町氏
深町氏

一歩間違えば政治家の道の可能性があったわけですね。

長谷川氏
長谷川氏

うん。でも、選挙に2回出て2回とも敗れています。

深町氏
深町氏

それでもう諦めたんですかね。

長谷川氏
長谷川氏

2回目は賄賂を渡したとかなんとかいって。みんないろいろやってるんですよ。それを新聞で叩かれて、天敵のような「マムシの周六」という仇名の黒岩涙香という人がいて。その人がスキャンダルを暴くの好きでね。

深町氏
深町氏

いつの時代にもそういう人がいるんですね。

長谷川氏
長谷川氏

万朝報(よろずちょうほう)という新聞の社主なんです。明治ニュース辞典(毎日コミュニケーションズ)という本だったと思うんですが、目下行方不明になってて、その中に有名人のお妾さんの記事がいっぱいあるんですよ。だれそれが小石川何丁目何番地に誰それを囲ってるとかの記事がね。万朝報だけではないけど、黒岩さんは熱心に調べてます。

深町氏
深町氏

えらい具体的ですね(笑) 今で言う週刊文春みたいですね。

長谷川氏
長谷川氏

初期の新聞はイエローペーパー的な内容も多かったんですけど、黒岩さんはそれが好きなんです。そして音二郎はなんやかんや叩かれる。まぁ遊んでばっかりいたみたいですから。

深町氏
深町氏

音二郎さんは今でこそさっきの誕生碑だったり、お墓も立派な墓が承天寺とかにありますけど、昔はちょっと「悪そう」というかすごい破天荒な感じがしますね。

長谷川氏
長谷川氏

実家が傾いていったので、最後は親父さんを引き取って東京の板橋に住ませるんですね。でも1年ぐらいで亡くなるんです。その1年後に法要をするんですけど博多に帰ってきて、最初は萬行寺でやる予定だったのが、市長やほかにもたくさん招待したらみんな出席するというんで、しょうがないから東公園に仮屋を建ててずいぶんの人を呼んで大法要をやるんですよ。終わったら芸者の総踊りみたいなのをやったりとか。博多に音楽隊ができるんですね。それが洋楽をやったり、和楽をやったり。そんなのでどんちゃん騒ぎ。花火も打ち上げたりして。

深町氏
深町氏

ちょっとしたイベントですね。

長谷川氏
長谷川氏

そうなんです。今回は法要のために帰ってきたんで芝居はしないっていうけど、みんなが「やれやれ」っていうのでやるんですよ。でもそんなに芝居小屋が開いてるわけもないのでね、最初からもう決めてたんじゃないかなっていう。

深町氏
深町氏

なるほど。お調子者的なところも。

長谷川氏
長谷川氏

うん。まあこっちに同級生とかいたから、必然的にやるってわかっていたんでしょうね。

深町氏
深町氏

そこが何か良いですよね、終生ちゃんと地元ともしっかりとつながって、時あるごとに凱旋公演行ったりみたいなこともされてたみたいですし。

実はスパイだった可能性がある音二郎

特別インタビュー
長谷川氏
長谷川氏

家が傾いて、博多を出る直前には巡査をやるんですよ。

深町氏
深町氏

警官になっていますよね。それもちょっと意外な感じがしたんですけど。

長谷川氏
長谷川氏

山笠で行ったり来たりする石堂橋がありますよね。あそこは東から入る博多の正式な入口なんです。明治になってなくなるんですけど、石堂橋の博多詰めに門があって門番を置いていました。門番は町で貧乏な人を雇うんです。音二郎は巡査として門のあったあたりで立ち番をしていたみたいです。巡査は当時最新の職業だったんですが、周囲の人は岡っ引きと同じだっておもったでしょうね。岡っ引きって辞書で引いたらですね、とても銭形の親分のような良い人じゃないんですよ。

深町氏
深町氏

そうですか。結構悪い感じなんですか?

長谷川氏
長谷川氏

警察機能の末端を担った非公認の協力者って辞書に書いてあるんですが、悪党や無法者が、それまでの罪を不問とする条件で岡っ引きに抜擢される事が多かったみたいです。ハリウッド映画の刑事もので情報屋って、ヤクの売人しながら、刑事が来たら刑事にちょっと金掴まされて吐いたりしてる。あれと同じような感じ。

長谷川氏
長谷川氏

それの直接同心から小銭ちょっともらったり、どうのこうのしたりして十手を預かっている人間がいて、その下が下っ引きっていう。岡っ引きって正式な職業じゃないんです。巡査は、邏卒なんて言ったんですが、正式な職業で給料も出るんです。そこが違う。ま、巡査の草分けが岡っ引きともいえるけど、蛇の道は蛇でいろいろ裏情報に詳しいから、例えば浮気している旦那がいたりとか、奥さんがいたりすると、それを脅して金を取ったりする。

深町氏
深町氏

そんなことがあるんですね。。

長谷川氏
長谷川氏

そうでもしないと生活できないですもん。映画では賭場を開いたりしてやるじゃないですか。でもそれと岡っ引きはまた別みたいですね。それを改良しての近代警察の巡査なんだけど、普通の庶民の感覚からいうと巡査ってものすごく悪いような感じになると思うんです。

深町氏
深町氏

でも今のお話をお伺いすると、警官になったということも別にそんな違和感ない話になりますね。

長谷川氏
長谷川氏

音二郎としては家がしまえているからなりやすい職業ですよね。月給を貰えるし。

深町氏
深町氏

壮士をしているときに記録では当時の警察に捕まって170回以上拘束されたとかいう話があるじゃないですか。そういうことも今の警官になったって話とちょっと関係してるんですかね。逆ですよね。

長谷川氏
長谷川氏

ほんとかどうかわかりませんがスパイじゃないかという話もあるんですよ。

深町氏
深町氏

それがもし本当だったらおもしろいですね。

長谷川氏
長谷川氏

実は国民という意識が芽生えたのもこのような経験を通してかもしれませんよね。だから演劇改良会で今まで言ってきたことはそっちのほうから教えられた意識じゃないかなと。

深町氏
深町氏

なるほど。これはまたちょっと新しい説ですね。

長谷川氏
長谷川氏

福岡出身の官僚・政治家に金子堅太郎さんがいますよね。

深町氏
深町氏

ずっと音二郎さんを援助したと言われている方ですよね。

長谷川氏
長谷川氏

ええ。貞奴と結婚した時の媒酌人をしたとも言われているんですけど。金子堅太郎さんは伊藤博文の秘書官をやったりして、明治憲法を作るときは、伊藤博文と金子堅太郎と伊東巳代治と井上毅の4人で草案を作るんです。伊藤博文の囲われ者が貞奴だったんですね。

深町氏
深町氏

そういう因果というか。

長谷川氏
長谷川氏

博文さん、奥さんは16歳の馬関芸者だったけど、それを身請けしているんですよ。16歳が好きでね。貞奴も半玉から芸者になった16歳で身請け、他にもいっぱいみたいです。

深町氏
深町氏

今だったらもうアウトですね。。でも伊藤博文も金子堅太郎も、音二郎をすごく愛していたというか、なんだかんだ言って応援してたんでしょ?

長谷川氏
長谷川氏

おそらく半分言うこときくからじゃないですかね。あとの半分は頑として聞かない。そこがかえって愛い(うい)ヤツみたいな。

深町氏
深町氏

確かに今となってはスパイくさい可能性ありますよね。

長谷川氏
長谷川氏

アメリカやヨーロッパ等に行って、万博なんかにも出たわけですけどね。そのときは福岡藩出身の栗野慎一郎が駐在公使です。まだ不平等条約なので大使は交換できない、公使なんですね。だから公使当たりの協力がないとそんなすぐに万博に知らない日本人の劇団が来ても出られないだろうなっていう。

深町氏
深町氏

そういうのをうまく利用してということなんでしょうね。

長谷川氏
長谷川氏

うまく段取り組んだりしたんでしょうね。例の黒岩涙香の初めての戯曲があって、それを芝居化したんです。その初日が1月2日だったらしいんですけど、主演をやる座長の音二郎が当日行方不明になる。芝居をすっぽかしてフランスに行くんですね。

深町氏
深町氏

あーそうか。1人で行ったときですか。

長谷川氏
長谷川氏

うん。だから黒岩涙香が最後まで叩くんです。この野郎って。

深町氏
深町氏

何ですっぽかしたんですかね。どんな理由があったんでしょうね。

長谷川氏
長谷川氏

これはあくまでも想像ですが、金子堅太郎さんといろいろ今後の方針とか、芝居の方針とかを話をしたときに、黒岩涙香なんかの芝居をやるなって言われたりして、「お前演劇改良するって言ったじゃないか」「いや、やりますよ」とかなんか言って。「しかし改良すべき目標であるヨーロッパの演劇全然知らないだろ」というような話になると、「じゃあ見てくりゃ良いんでしょ」みたいな話があったんじゃないかなぁって。

深町氏
深町氏

確かにその可能性ならありそうですね。

長谷川氏
長谷川氏

だから半分スパイだっていうのはそういうことで言ってるんです。

深町氏
深町氏

なるほど。演劇人としても行けるし、そこでいろんな情報も収集できるわけですね。

長谷川氏
長谷川氏

そのときはまだ貞奴と結婚していないと思うんですけど、フランスへ行くのに1か月ちょっとぐらいかかるんですね。2か月ぐらい滞在するわけですけどフランス語もわからないのに1人で行っているんですよ。だからフランスでは絶対誰かがガイドしているはずなんです。帰国の時は日本海軍が買ったイギリス製の軍艦かなにかに乗って帰ってきます。

深町氏
深町氏

すごい優遇されてますね。

長谷川氏
長谷川氏

それって国費でしょ。

深町氏
深町氏

本当ですね。国のお偉いさん的な扱いですよ。

長谷川氏
長谷川氏

芸人が簡単に乗れるわけがない。金子堅太郎だとかなんかが便宜を図ってくれた、温情だけではないはずですよね。

深町氏
深町氏

すごく納得できます。

長谷川氏
長谷川氏

日清戦争するにあたって軍事機密がいっぱいそこにはあるわけですから、買ったばかりの最新鋭軍艦の中のことを喋られたらたまったもんじゃないです。本に書いてありますけど、「ちゃっかり軍艦に乗ってきたから、船賃の半分は助かってる」とか、いやいやそんな問題じゃないっていう。

深町氏
深町氏

そんな問題じゃないですよね。

長谷川氏
長谷川氏

もっと大問題ですよ。本当音二郎の存在というのは。

深町氏
深町氏

本当に暗躍してた可能性ありますね。

長谷川氏
長谷川氏

なんていうんですか、諜報員と言ってもいろんな諜報員がいて、身分隠して草忍のように、忍びの者のように、顔もわからないようにしてやってるような。

深町氏
深町氏

音二郎さんはむしろその逆ということですね。

長谷川氏
長谷川氏

暗躍じゃなくて明躍みたいな、それで見聞きすることで情報になるってことはあると思う。まして結婚した貞奴という女優を連れてって、評判になったりしますから。もう社交界の華ですからね。

(後編へ続く)

長谷川法世 (はせがわ・ほうせい)

漫画家。1945年、博多生まれ。福岡県立福岡高等学校を卒業後、1968年『正午の教会へ』(COM)が月例新人賞受賞。その後、1972年の『痴連』で本格的デビュー。代表作『博多っ子純情』(双葉社)、『がんがらがん』で第26回小学館漫画賞を受賞、同年『博多町人文化勲章』を受章。その他作品に、『ぼくの西鉄ライオンズ』『博多新聞東京支社』『源氏物語(上・中・下)』『徒然草』NHK朝の連続テレビ小説の原案小説『走らんか!』などがある。2004年より九州造形短期大学客員教授をつとめた。現在「博多町家ふるさと館」館長。